福岡家庭裁判所小倉支部 昭和44年(少)3559号 決定 1970年1月19日
少年 M・S(昭三〇・一二・三一生)
主文
この事件を北九州市児童相談所長に送致する。
同所長はこの少年を教護院に入所させ、同所において昭和四五年一月一九日から一年間に限りその行動の自由を奪い、またはこれを制限するような強制的措置をとることが出来る。
理由
一 本件に係る北九州市児童相談所長からの送致理由によれば「少年は、昭和四三年九月○○日以降被害総額二二万〇、三〇〇円に及ぶ窃盗、恐喝を繰返した他、家出、不純異性交友をなした事を理由に八幡警察署より教護院送致相当の意見を付せられて同所に通告を受けたものであるが、他にも、学校、警察等関係者の供述によると、未通告の非行が相当数ある様に見受けられ、その非行傾向は習癖化している。
又少年は同四四年九月以降全く登校せず、主に八幡区○○の繁華街で所謂フーテン少年らと交友、非行を重ねている。
ところで少年には自己の非行に対する反省が全くなく、学校、警察、児童相談所等の指導を受けつけようとせずあらゆる保護措置をも拒否する旨公言している現状なので、従つて単に教護院に送致しただけでは逃亡は必至と思われる。」。
「一方少年の家庭は生活保護受給世帯であつて、実母は同四一年頃家出し、保護者である実父はアルコール中毒症状を有し、少年らに対する監護態度は支離滅裂と言う他なく、少年の家出もこれが一因となつていると考えられる。」よつて少年については、家庭は勿論、任意に出入できる教護院における指導は不可能と考えられるので強制的指置をとる必要を認めて本件送致に及んだと言うにある。
二 よつて審案するに本件関係証拠書類並に当裁判所の調査および審判の結果を総合すると次の事実が認められる。
(一) 少年は同四四年三月○○日頃の午後四時頃、八幡区○○町文化センター裏において(イ)○橋○樹(当時一二年)に対し「お前ら金を貸してやれ、よかろうが」と言棄鋭るどく申し向けて同人から現金四〇〇円を喝取した他、(ロ)同年一二月○○日、同区△△町○丁目○○ビル二階階段附近において○田○樹(当時一八年)から腕時計一個(時価一万一、五〇〇円相当)を(ハ)同月△△日午前三時頃同町二丁目○○食堂裏において加○実(当時二三年)から現金二、〇〇〇円を、(二)同月上旬頃の午前五時五〇分頃同区○○○×丁目○○神社境内において○脇○文(当時一七年)から背広上下一着(時価二万円相当)、他二点(時価二、〇〇〇円相当)を、何れも小刀あるいは千枚通し様の兇器を示して前記同人らを畏怖させ、夫々上記金品を喝取しており、又(ホ)同年七月○○日午前〇時一〇分頃八幡区××町××アパート前路上において増○茂所有の、(ヘ)同月△△日午前一時一〇分頃同区××○丁目有料駐車場において○田○雄所有の、(ト)同月××日頃の午後一〇時頃同区○○東食糧販売所前路上において○崎○雄所有の原付自転車をそれぞれ窃取した他、矢張り昭和四四年中に自動車窃盗二件、財布の窃盗未遂一件を各犯している。
(二) 少年は右触法行為の他同年八月中旬頃家出して○○界隈を徘徊し、所謂フーテン族と交際して深夜喫茶に行つたり、駅待合所に寝たりして怠学、外泊を重ね又少年自身、ボンドを二、三度吸つた事もあり、同月○○日夜には女子中学生と不純異性交友をなし、又暴力団員とも顔見知りとなつて、道で声をかけられる程となつている。
(三) 少年の実母は昭和四一年頃家出して現状は不明であり、父親はアルコール中毒症を有しその監護態度はすこぶる非教育的であつて、その為少年の弟Μ・Kは現在福岡学園に入所中であり、又同Μ・Μは養護施設に収容されている状態である。
(四) 少年の知能指数は普通域であるが、洞察力は極めて貧弱であり、抑制力内省力に欠け、情緒未熟、不安定で思いつきで気分本位に行動し易く、感情には神経症的傾向が強く認められ飲酒、外泊、盛場徘徊、怠学、家出、盗癖、不純異性交友等の要保護性癖が多発しており、これが原因は前記崩壊家庭における無責任な教育態度にあると考えられる。
三 そこで、少年の年齢、前記触法並に虞犯の非行歴、環境、資質等諸般の事情を総合して考えると、少年の父親は反対しているものの、矢張り本少年については、もはや在宅乃至開放的施設における少年の保護育成は著るしく困難と認められ、強制的措置をとりうる教護院に収容し、その行動の自由を制限し、又はその自由を奪うのはやむを得ないものと思慮され、又その期間は一年間を以つて相当と考える。
よつて本件許可の申請を適当と認め、少年法第一八条第二項少年審判規則第二三条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 弓木龍美)